東京大学医学系研究科 国際保健政策学 東京大学 The University of Tokyo

Department of Global Health Policy

Graduate School of Medicine, The University of Tokyo

2012.9.15
New Faculty

Kenji Shibuya

就任当日、15年ぶりに見た本郷キャンパスは建物も美しく、秋の銀杏並木は息をのむほどでした。さびれたうす汚い東大しか記憶にない私には、東大も随分変わったなというのが第一印象でした。それと同時に、東大とは卒業後何の縁もゆかりもない私を招いてくださった清水孝雄医学部長をはじめ国際保健学専攻の先生方のご尽力とご期待を思うと身が引き締まる思いです。異質な人材を登用し始めた東大も変わったな、と感じたことがこの仕事を引き受けることを決心した大きな理由のひとつでした。

私は他人と違う選択ばかりしてきました。仕事も興味もほぼ5年ごとに変わってきました。平成3年に卒業後千葉の帝京大学市原病院麻酔科で研修を始めました。森田重穂教授(昭49卒)をはじめ自由かつ個性的で活気のある医局の雰囲気はまさにプロ集団であり、その後私が進路を選択する局面においての判断基準の一つとなりました。麻酔科研修中に世界銀行の途上国保健セクターにおける財政に関するレポートに感激し、米国に留学したいと考えるようになりました。医療経済学への興味を起こしてくださったのは小林廉毅公衆衛生学教授(昭58卒)のおかげです。研修2年を終えた後に帝京大学の故冲永荘一総長(昭33卒)、森宏之元教授(昭42卒)、矢野栄二教授(昭48卒)のおかげで、ハーバード大学の公衆衛生大学院に留学しました。そこで当時まだ助教になったばかりの恩師クリス・マレーに出会いその後の進路が決まりました。彼の研究室で行われていたことは、国際保健の分析では今や欠くことのできない、経済学、統計学、人口学を駆使した疾病の負担や保健システムパフォーマンス分析の萌芽であり、研究主任のクリスや私を含めてわずか5人のスタッフと一緒に、ハーバード大学クリムゾン新聞社の横の倉庫を改造した建物で、日夜新しいアイディアを出し合っては議論する日々が過ぎました。武器は入手しうる限りのデータとアイディアのみでした。それとコンピュータです。研究資金もなく高価な設備や分析機もなくとも、コンピュータのみですべての世界の保健問題を数量化し、どうしたらそれを改善することができるか解明してやろうという壮大な、ある意味無謀な計画でした(今のグーグルの戦略に近いかもしれません)。そこで5年半過ごし国際保健経済学における公衆衛生学博士を取得し、帰国後は帝京大学に戻り衛生学公衆衛生学教室で教鞭をとりました。

ところが、世界保健機関(WHO)本部に移動していたクリスからの深夜の電話による誘いで、ジュネーブ行きを決めました。この際の帝京大学からの出向においては再度冲永総長と矢野教授には大変寛大なご配慮をいただきました。WHOでは当時のブルントラント事務局長の肝いりで新設された「政策のためのエビデンスと情報局」でそれまでの仕事をさらに追究することができたのは幸せでした。WHOや国連はどこもそうでしょうが、日本の役所の完全なトップダウンとは異なり、それこそ自分でアジェンダを決め周囲を説得し資金を確保し、専門家会議を立ち上げそのアウトプットを政策に翻訳し加盟国に広げていくというプロセスを学ぶことができました。3年後にはプロフェッショナルレベルでは最高のポストにたどりつきました。この間に2度の事務局長選挙も経験し、それぞれの事務局長と個人的に接する機会もあり、トップのやりがいとその孤独さを痛感しました。加盟国の利害と衝突することも多々ありました。政治的に妥協をすることは楽ですが、やはり愚直にも真実を貫けば、必ずそれを見ていてくれる人がいるということも実際に体験しました。WHOではそれこそ世界のトップからコミュニティの名のなき人までありとあらゆる人と知り合い、共に仕事をすることができました。

WHOでその先の幹部レベルに進むには、加盟国間の政治の話になります。このまま国連ならではの魑魅魍魎の世界でのポリティクスに翻弄されるべきか、それとも一度外に出ようかと考えていたのが平成19年度末でした。いくつかの場所からオファーをいただき、私のメンターの一人に相談したところ、「米国の大学にはいつでも行ける。しかし、お前が一番世の中の役に立つのは世界の潮流から取り残された日本のグローバルヘルスを改革することだ。それは他の誰にもできない、だからそれをやれ。」と言われ、単純な私は「よし日本の国際保健の構造改革をする」と決意し、さらには選考委員会の先生方の熱意と期待に、そして、東大から日本を変えることができるのではないかという青臭い理想を抱き、こうして今に至るわけです。最近なぜ国際保健政策をやりたいと思ったのかと聞かれることが多いですが、ともかく自分が興味あることを徹底して追求してきた結果、そして、貴重な出会いがあった結果、今の専門分野にたまたま辿り着いたというのが正直なところです。

国際保健とはいったい何をやっているのか、途上国の援助などでアカデミックな実績になるのか、などとよく言われますが(実際私も学生の時から常にそう言われてきました)、たとえばランセット誌をご覧ください。編集長のリチャード・ホートンは親しい友人ですが、彼はグローバルヘルスを積極的に取り上げています。さらには、国際保健におけるモニタリングと評価に関するセクションも新たに新設されました。また、手前味噌ですが、国際保健はとにかく楽しいのです。広く世界と通じ、時には政治や外交の力も借りながら、人類共通の課題を克服し、社会貢献できるという分野はそんなにありません。思想や国が違っても「健康」はすべての人に訴えることのできるイシューです。

それを追求するためのアプローチにはいろいろありますが、大学人であるからには、熱いハートを持ちながらもサイエンスを駆使して、この分野に貢献していくべきであると考えます。逆説的ではありますが、私は、国際保健学という固有の学問があるとは考えていません。国際保健は、公衆衛生学を基礎に、参加する個々が専門領域を持ち寄ることにより保健分野のグローバル・イシュー(ミレニアム開発目標達成や保健システムの強化、特にモニタリングと評価、革新的な財源の創出、人材開発、健康における不平等、など)を解決するひとつの手段である、と考えています。それゆえ、ひとつの教室がすべてを行うことは不可能であり、私の教室では、他の教室ではできないレバレッジの効く分野に特化することを目指すつもりです。そして、関連する個性的な教室・関連機関が国際保健を共通の軸に議論を通して発展していくことを考えています。 東京大学は世界的にもそのポテンシャルが高い大学です。よく東大の国際保健学専攻は、試験管を振っている実験系の人と社会医学系が共存して難しいのではないかと聞かれるのですが、グローバルヘルスはコミュニティでの善意からのボランティア活動のみではありません。最貧国の人が対象だからと、「適正技術」の名のもとに、安かろう悪かろうの医療がまかり通っていることに私は納得しません。途上国の人が必要としているのは知識と経験を兼ね備えたプロなのです。基礎実験から費用の安いかつ効果的なテクノロジーが開発されれば最貧国で使ってもいいのではないでしょうか。彼らもテクノロジーやエビデンスの恩恵を受けるべきです。例えば、パピローマウイルスやロタウイルスのワクチンはそのよい例です。途上国の疾病構造はすでに母子保健や感染症から生活習慣病に移っています。その際に必要な知識と経験は今まさに日本のメタボ、タバコ、更年期、高齢化、保健制度、病院経営と闘っているこの拙文を読んでいらっしゃる先生方が日夜行っていらっしゃることなのです。私は「遺伝子から人口レベルまで」網羅する懐の深い東大の国際保健専攻を誇りに思っていると同時に、東大医学部全体のそのポテンシャルをグローバルヘルス領域で生かす道を今考えています。

私の教室は2009年4月より「国際保健政策学」に改名しました。国際保健政策の分野において、数量分析的手法を駆使し、保健アウトカム分析、保健システム分析、政策提言、の3つを柱にパートナーシップ構築を行いながら研究と教育を行っていきます。大学は常に新陳代謝が必要です。異質な人間が存在する懐の深さが必要です。卒業生のほぼ全員が医学部本館から病院に移り医局を中心に卒業後の人生を過ごす時代はもうとっくに終わっています。世界は相互依存を深めながらも、その情勢はますます混迷し先行き不透明です。このようなときに最も大切なことは、当たり前のことですが医局や組織に頼るのではなく自分の力を磨くことしかありません。そして自分のメンターを見つけることです。ですから、なおさら自分がやりたいことをとことんやるべきでしょう。人生は一度しかありません。勇気を出して一歩を踏み出しましょう。

グローバルヘルス業界には強固でかつ閉鎖的なネットワークが存在する現実を直視せねばなりません。そこでは、個人の顔と実力がものを言う世界です。私はそのような場所に先方から呼ばれるような人材を育てたいと思います。既存の概念に常に批判的視点を持つこと、私は大学院時代の恩師にそのように徹底的に鍛えられました。若い人には大学院の時代に誰よりも勉強させ、積極的に他流試合をする機会を与えていきたいと思います。私は、自立したたくましい個人が、開かれたたくましい社会、そして世界を作ると信じており、そのような人材を育てることを最終的な目標としたいと思っています。私もまだまだキャリアの発展途上ですし、東大をステップにさらに進んでいきたいと思っています。広い世界を見てみたい(私の教室の半分以上は留学生です)、一度くらいは国連で働いてみたい、何か人と違う面白いことをしてみたい、と思う方はいつでも歓迎です。文字通りオフィスのドアはいつでも開いています。

* 鉄門だより2009年2月号から改編